青森県の重症例を24時間体制で受け入れる、弘前大学の高度救命救急センター。センター長を務める花田裕之教授に聞いた、青森県の医療と救急に携わる魅力とは?
開設当時は救急に所属する専属の医師が教授とあと1名しかいませんでした。そこに循環器内科、脳外科、麻酔科からは専任がそれぞれ1名加わり、他に整形外科、内科、麻酔科などから交代で救急に携わりたい医師たちが集まり、日々の救急に対応していました。
弘前大学の高度救命救急センターの素晴らしいところは、救急科が突出して診療しているのではなく、他科との連携による強いチーム医療で対応していることです。専門的な治療が必要なときは専門の先生方にお願いをするのですが、どの診療科の先生も快く引き受けてくださるなど、全ての診療科の応援、バックアップがしっかりしていたため、非常に助かりました。
青森県で唯一の高度救命救急センターに指定されており、救急車やドクターヘリにより搬送されてきた方や他の病院で治療が難しい患者さんなど、青森県全域や秋田県からも受け入れ、幅広い重症例の診療を24時間体制で行っています。
大学病院が有する高度な診療能力を発揮するために各診療科と協力連携し、さらに地域の消防本部とも密な連携をしながら、最新の治療を迅速に提供しています。
また、国から原子力災害医療・総合支援センター、高度被ばく医療支援センターの指定を受けており、常に被ばく医療に対応できる診療体制、設備を備えています。さらに基幹災害拠点病院にも指定されているため、災害発生時に被災地に派遣する災害派遣医療チーム(DMAT)を組織し、常日頃から災害時の派遣にも備えています。
高度救命救急センターは、軽症から迅速な治療を必要とする重症に加え、一般的な総合診療も経験できるなど、どんな患者さんにも対応できる“医師の基本”が詰まった部署であり、他科の先生方とコラボレーションをした医療も特徴です。
救急医はジェネラルな力と他科や多職種連携のマネジメント力、調整力も有しており、活躍できる場は救急科だけに留まらず、多様なキャリアが広がっています。
キャリアプランとしては、初期臨床研修を修了し、救急科専門プログラム(研修期間3年)に入り、基幹施設である弘前大学を中心に、連携する県内の青森県立中央病院、健生病院、それに関東地区の3つの基幹施設である東京医科大学病院救命救急センター、東京医科大学八王子医療センター病院、北里大学救命救急センターにて症例経験を積み、救急科専門医の資格取得を目指します。
救急科専門医取得後には、サブスペシャルティ領域である救急科関連領域の専門医取得を目指したり、医学博士号取得を目指すことが可能です。
現在、救急に携わりながらサブスペシャルティとして整形外科や放射線科でIVR(画像下治療)を学んでいる医師もいるなど、他科と連携しながら一人ひとりが目指す医師像に応えています。
研究などアカデミックな経験ができることです。
臨床をしていると、必ずどこかで疑問や難題にぶつかることがあります。そうした臨床で遭遇する壁を乗り超えるには研究が非常に有効です。自分でデータをまとめたり、いろんな人と共同で研究をすることは問題解決につながり、臨床に活かすことができます。アカデミックな経験は、特定分野を極めていくことができますし、その過程で英語論文にどんどんあたることで知識も増え、英語力も獲得できます。研究によって後輩たちにデータを残すことで、医療の発展にもつながりますし、そして何より、研究をすることは医師としての深みにつながります。
青森県内のほとんどの医療機関は弘前大学と関係のある病院です。臨床データを疾患やテーマごとに管理、統合すれば、それだけでも臨床研究として大いに役立つのではと思っています。他の地域ではいろんな大学や研究機関が絡み合っているため、そうしたことは難しいでしょう。臨床研究のしやすさ、活かしやすさも青森県の特徴だと思います。
救急は常に忙しいかというと決してそうではありません。救急患者さんが少ない時間は落ち着いて過ごすことができます。
高度救命救急センターは交代勤務なので当直明けは休みですし、平日日勤帯の診療も可能で、チーム医療により勤務時間を作れることから、出産、子育て、介護との両立もできます。
また、内科などと比べて患者数が少ないため、初期診療後は時間をかけて診ることができますし、当直時の医師間の申し送りでも、一人ひとりの患者さんについて詳細な報告ができることで引き継ぎもしやすく、働きやすい診療科だといえます。
現在、救急の医局で女性医師は一人ですが、第一線で活躍していますし、昔から救急に興味のあった女性医師が、子育てがひと段落したということで新たに入局されます。さらに現在、救急科専門プログラムに所属する4名のうち3名が女性医師であるなど、救急は女性医師でも働きやすく、かつ、大いに能力を発揮できる診療科です。
青森県は医師数が少ないなど、医療資源が足りていない状況にあるため、院内の多職種連携はもちろん院外連携も密であり、行政も含めて協力体制がしっかり構築されています。青森県全体が一つの医局という感じで、他科や他病院の先生方とも“顔が見える関係”であるため、コンサルやコンタクトも取りやすく、診療科や在籍する医療機関に関係なく、いろんな先生方がフォローしてくれる環境です。
さらに、青森県では自分が主体となって働くことができるのも魅力です。大都市の大きな病院ではマニュアルで縛られた医療が多く、自分で考える時間や、自分が主体となって関わる場面は少ないですが、医療資源の少ない青森県では、一人ひとりが主体的に医療に関わることができます。医師としての面白さ、楽しさ、やりがいは都市部で働くよりも大きいのではないでしょうか。
現在は情報化社会ですし、青森県という地方であっても、情報格差や都市部より遅れた医療をしていることは絶対にありません。青森県は、医師としての研鑽に最適な場であり、医師として活躍できるチャンスも非常に多くある地域です。ぜひ青森県で医師として働いていただき、大いに活躍してください。それは医師として青森県に居続けてほしいということではなく、国内はもちろん海外留学をするなど外の世界でも学んでほしいですし、学んできたことを次の世代に還元し、青森の医療を盛り上げていってほしいと思っています。
救急には医の原点があり、医師らしい医師、医療らしい医療があります。救急に長く携わっていますが、いまだに救急は面白く、やればやるほど興味はつきませんし、活躍できる場は数多く、多彩なキャリアが広がっています。少しでも興味のある方、ぜひ青森の地で救急医を目指してみませんか。
弘前大学医学部附属病院
高度救命救急センター
センター長・診療科長
救急・災害医学講座 教授
花田 裕之(はなだ・ひろゆき)
弘前大学卒業(1985年)
専門:救急医療、災害医療、循環器内科
高校2年生から3年生に上がる際、当時は理系か文系かに分かれる文理選択がありました。理系で人を相手にする仕事に就きたいと思い、そこで始めて医学部を考え、地元にある弘前大学に入学しました。
それまでは漠然と「学校の先生にでもなろうかな」と思っていましたが、そういう意味では、大学で教えている立場でもあるので学校の先生になることも実現したわけです。
大学卒業後は弘前大学の循環器内科に入局しました。動機としてはカテーテル治療に興味があったのと、医学生時代のバスケットボール部の顧問だった循環器内科の教授に、一年次のときから、「循環器内科に入りなさい」と事あるごとにいわれていたからなんです(笑)。
循環器内科の道に進み、カテーテル治療に明け暮れる日々のなかで教授も代替わりし、循環器内科でも救急医療を始めることになりました。循環器内科なので救急患者さんも心筋梗塞が主体でしたが、いろいろと診るようになり、心肺停止の患者さんにも対応するようになりました。その人たちをどう蘇生し、治療していけばいいのか試行錯誤していた時期に、心肺蘇生の国際ガイドラインが公表され、AEDの普及も始まりました。
心肺蘇生の国際ガイドラインの登場により、それまで先輩などから教えられてきた独自の方法ではなく、共通認識による最適な蘇生方法が明示され、人工心肺や心肺蘇生率を上げるためにカテーテルを使用して蘇生をしたり、蘇生した後にカテーテルを使用したり、そして今度は自分が救急を教える立場にもなり、だんだんと救急医療が面白くなっていったんです。
そして2010年4月1日に弘前大学に高度救命救急センターが開設するということで、循環器内科から救急科に異動しました。
これまでのキャリアを振り返ると、自分の意思ではなく、関わった人たちからきっかけを与えてもらい、進むべき道が自然と決まっていったという感じですね。自分の身が置かれた場所で楽しいことや面白いことがたくさん見つかりましたし、歩んできた道に後悔はしていません。